坂井市丸岡観光協会公式サイト コシヒカリの古里。日本最古の天守閣丸岡城。歴史と自然が共存するまち、福井県坂井市丸岡町へようこそ!


古代の丸岡

たかむくのあけぼの時期

高椋の私たちの地域に人々が住み着いたのはいつ頃からだろうか。古老から「舟寄地区は昔、日本海の入り江にあり、舟が出入りしたことから「舟寄」の地名がついた。」とよく聞かされた。その確かな証拠となる歴史的事実が最近の行われた県埋蔵文化財センターの発掘調査で解かった。平成16年度に九頭龍川パイプライン敷設工事の際に舟寄集落の西方から縄文中期(4,500年前)の竪穴式住居跡の舟寄遺跡が発見された。坂井平野の平坦なこの地に縄文の人々が生活をしていたことが確認された。現在の地表より約2m下からの発見でした。狩猟中心の縄文人は近くを流れる兵庫川の河岸段丘の上に集落をつくり、この地まで入り込んでいた日本海の入り江と兵庫川の水運によって、生活をしていたと考えられる。度重なる洪水による土砂の沖積が進み、次第に今日のような坂井平野化していった。平成15年度から始まった発掘調査の舟寄遺跡からは縄文中期の集落の跡が発見されました。

縄文中期(4,500年前)から発達した舟寄地区

兵庫川の河岸段丘に大集落形成
平野部での縄文中期遺跡は全国的にも珍しい。

舟寄遺跡は、丸岡町舟寄集落の西側の水田地帯に所在していた。標高は、水田面から2m下位の約5.5mを測った。検出した主な遺構には、竪穴住居・堀立柱建物、土坑 柱穴 埋甕 捨て場などが発掘された。

竪穴住居は、18棟検出した。直径4~6m、深さ40~60cmで平面が円形や楕円形をなし、中央部には、人頭大の川原石を方形に並べた石囲炉(いろり)を設置しているものが大半を占めていた。住居内部から完全な形に土器や石器などとともに、土器の材料となる粘土が焼けた焼成粘土なども出土された。

掘立柱建物は5棟程 600基以上の柱穴が検出し、おおむね4本柱で、1間×1間の正方形または長方形であった。土杭は20基程検出し、直径1m前後で平面が円形または楕円形となるものが主であった。柱穴直径30~50cm 深さ40~60cm程度のものが主であった。埋甕は4基検出した。内部からは遺物は出土しなかった。捨て場からは1箇所検出し、縄文時代の土器や石器が多く出土した。

調査面積が少ないものの、竪穴住居などの遺構に伴い縄文時代中期の土器や石器が多量に出土し。そのほか、2cm程度の川原石を磨いて孔をあけた石製装飾品(首飾りの刃が2点出土している。自然遺物で炭化したクルミや大形動物の骨片なども小量見つかった。

舟寄遺跡は、縄文時代中期中葉~後葉にかけての比較的短時期の集落遺跡であることが判明した。また、竪穴住居などの生活遺構が多数密集していることから、調査区は集落の中心部にあたると考えられる。試堀調査の結果から、調査区の南北両方向ともに、自然河川ないし湿地と想定できるため東西方向にのびる細長い自然堤防ないし微高地上に集落が立地していたものと判断できる。検出した多数の遺構や遺物は縄文時代遺跡の発掘調査例が少ない県内において、その具体像を解明していく上でも貴重な資料となった。特に、標高の低い坂井平野において、多数の竪穴住居を明確に検出したのは初例となり、今後の整理作業により、さらに資料的価値が高まるものと考えられる。

遺跡名 舟寄遺跡
所在地 坂井市丸岡町舟寄
調査原因 国営九頭竜川下流域土地改良事業
調査期間 平成15年8月2日~平成18年3月27日
調査主体 福井県教育庁埋蔵文化財調査センター訴査担当 山本孝一
調査面積 1,400平方メートル
時代 縄文時代中期
提供 県埋蔵文化財センター

舟寄白山神社内に展示してある
舟寄遺跡から出土した縄文中期のクリの大木

縄文後期(3,000年前)の舟寄福島通遺跡

兵庫川や田島川の流域では土砂の沖積が進み、縄文後期からは人々は集落化し、水田耕作を始めていった。パイプライン敷設工事の際、縄文後期の舟寄福島通遺跡、弥生期の高柳・下安田遺跡が発見された。特に高柳・下安田遺跡からは、農耕人が祭礼に使用したとみられる銅鐸の破片(3片)が発見され、かなりの多くの弥生人がこの地で稲作中心の農業を営んでいた。

舟寄から坂井町の福島に通じる旧道(舟寄ー福島道)付近に所在し、舟寄集落と兵庫川・十郷用水を挟んだ西側の水田地帯上に広がる遺跡である。上層に古墳時代(西暦200~300年頃)と下層に縄文晩期(約2,500年前)の遺構である。縄文時代の遺構は土杭やピット(柱穴)等とともに、深鉢形の土器を地中に埋められた「甕棺」(お墓?)が10基発見された。そして、縄文時代の祭祀に使われたとみられる土製や石製の特殊な遺物が多く出土した。3,000年近く前から、縄文人たちはここで生活していたことがわかった。

遺跡名 舟寄福島通遺跡
所在地 坂井市丸岡町舟寄
調査原因 九頭竜川側下流域土地改良事業(パイプライン敷設)・工事
調査期間 平成17年5月14日~3月27日
調査主体 福井県教育庁埋蔵文化財調査センター
調査担当者 赤澤徳明
調査面積 約2,400平方メートル
時代 縄文時代晩期・弥生時代中期・後期
古墳時代前期・中期
提供 県埋蔵文化財センター 提供

銅鐸が出土した高柳・下安田遺跡

高柳地区のパイプライン敷設工事の際に発見された遺跡で、高柳集落から下安田集落にまたがっている。両集落間の水田用の農道部分を中心にL字状に調査したところ、中央に南北にわたり河道があり、その両側から竪穴住居と弥生式土器・玉作関連遺物(※1)が出土した。調査は東側と西側の2つに分けて行われ、その東側からは竪穴住居2棟、布堀りの堀立柱建物2棟、2軒×3軒の堀立柱建物1棟、平地式住居1棟と若干の土杭・ピット(柱穴等)が見つかった。竪穴住居は多角形の平面形で、直径10~15mの大型のものであり、2棟とも拡張されていた。そのうちの1棟の床面から銅鐸(※2)の破片が3片出土した。

西側からは竪穴住居6棟、溝、または溝状の細長い土杭や井戸の可能性のある土杭3基が見つかった。うち1棟は多角形の平面形で、拡張して造り直されていた。まだ西側と南側にも住居があると考えられ、かなり大きな弥生時代の集落であったと思われる。

今回出土した銅鐸の破片は、金属利器として再利用された可能性が高いもので、弥生時代末期(西暦200年前後)の土器が出土 していることから、銅鐸の廃棄の時期が特定できる非常にめずらしいものです。

  • ※1 玉作関連遺物とは弥生時代から古墳時代にお墓の副葬品となる管玉、玉
  • ※2 銅鐸は弥生時代の祭祀に用いられた代表的な青銅器である。

遺跡名 高柳・下安田遺跡
所在地 坂井市丸岡町高柳
調査原因 九頭竜川側下流域土地改良事業(パイプライン敷設工事)
調査期間 平成16年5月8日~10月11日
調査主体 福井県教育庁埋蔵文化財調査センター
調査担当者 赤澤徳明・櫛部正典
調査面積 3750平方メートル
時代 弥生時代
提供 県埋蔵文化財センター

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