坂井市丸岡観光協会公式サイト コシヒカリの古里。日本最古の天守閣丸岡城。歴史と自然が共存するまち、福井県坂井市丸岡町へようこそ!


歴史散策

丸岡歴史資料館

丸岡の歴史を知る

霞ヶ城公園内にある歴史民俗資料館。歴代城主ゆかりの武具、古文書、資料等が展示されています。

丸岡歴史資料館

住所 坂井市丸岡町霞4-12
霞ヶ城公園内
TEL 0776-67-0001

六呂瀬古墳群

坂井平野地域を支配した豪族の墓

六呂瀬山古墳群は上久米田の六呂瀬山山頂に4基からなる古墳群です。1号墳は4世紀後半頃の築造で、全長約140m後円部径約78m高さ13m前方部幅約58m同高さ11mの北陸最大規模の前方後円墳で、3号墳は5世紀の初めの築造と推定されています。 ともにこの坂井平野地域を支配した豪族の墓と考えられています。国の重要指定史跡。

六呂瀬古墳群

場所 坂井市丸岡町上久米田

国神神社

樹齢400~500年の大木

国神神社の境内に樹齢数百年の松や杉、けやき、楓、いちょう、たぶ等の大木が茂っていました。昭和23年の福井震災で全部焼けてしまい、その中で、たぶの大木だけが焼け残りました。現在でも、路肩に神木として、しめなわを張られて敬われています。これは樹齢400~500年位で、丸岡城が最初に建てられたころより茂っていたことになります。坂井市の天然記念物。

国神神社

住所 坂井市丸岡町石城戸1-2
TEL 0776-66-1277

タブの大木(国神神社の北西角)

称念寺

月さびよ 明智が妻の 咄せむ

元禄2年(1689)8月、松尾芭蕉(1644~1694) が称念寺に立ち寄り、明智光秀の夫婦愛の話(1560年代頃)を聞き、感激して詠んだ句です。
1556年頃光秀の居城であった明智城は斉藤道三親子に攻められ、逃亡生活へ、1562年頃から5年間ほど称念寺の門前で密かに貧しく生活していました。妻の煕子は自分の黒髪を売って、銭に替え夫の面目を立てたといわれています。県の指定史跡。

称念寺

住所 坂井市丸岡町長崎19-17
TEL 0776-66-3675

松尾芭蕉句碑(称念寺境内)

しろのまち会館

城尊し 古き城 更に尊し

深田久弥(1903~1971)は、石川県大聖寺町(現在の加賀市)生まれの作家。旧制福井中学(現 福井県立藤島高等学校)から第一高等学校に進み、文芸部で堀辰雄や高見順と知り合い、また山岳部員として山にも親しみました。特に山に関する文章の執筆活動を行い、昭和38年に発表した『日本百名山』は高く評価され、読売文学賞を受賞しました。
丸岡町とは丸岡成人大学の講師を長く勤めた関係で、平成7年6月に丸岡五徳会が丸岡成人大学30周年を記念して、久弥句碑を丸岡福祉センクー前庭に建立しました。 昭和45年5月の成人大学で詠んだ句が碑文に刻まれています。

しろのまち会館

住所 坂井市丸岡町霞1-13-1
TEL 0776-66-1276

深田久弥句碑(城のまち会館駐車場内)

開高健句碑

悠々として急げ

開高健(1930~1989)の祖父母が丸岡町一本田福所の出身で、丸岡町ゆかりの文学者としての偉大な功績を啓蒙し後世に伝承するために平成5年11月、ふるさと一本田福所に開高健文学顕彰会が発足。そして、翌6年10月文学顕彰碑が建立されました。
開高健は、28歳の時『裸の王様』で、第38回芥川賞を受賞。その後、朝日新聞社臨時海外特派員として、ベトナム戦争戦禍の状況をルポタージュ。また、世界各地を釣り紀行しその一連の業績により、菊池寛賞を受賞するなど、従来の日本文学の枠を超えた行動派の作家でした。常に人間の原点と社会の組織に目を向け、現代社会と取り組むエネルギッシュな作家的姿勢を一貫した人です。

開高健句碑(一本田福所区民館前)


坂井市丸岡観光協会

〒910-0231 福井県坂井市丸岡町霞町3-1-3(一筆啓上茶屋内)
TEL:0776-66-5880 FAX:0776-66-5886

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